立役床山部屋

今回は鬘屋(かつらや)さんと床山が協力して一つの鬘を作って行く話です。特に鬘合せは、俳優、鬘師、床山の三者で「役をどのような人物として造形するか」を決める大切な仕事。それは今も変わっていません。
一方、鬘師 床山を含め歌舞伎の裏方として活躍している女性は今ではとても多いです。そこは大きく変わったところだと思います。

【総務 鴨治】

歌舞伎床山芸談(一)-②鬘と床山

一般に鬘(かつら)といふと、舞台にみるあのやうな姿に完成されたものが鬘屋にあつて、いつでも間にあふやうに用意されてゐるものとお思ひのかたが多いやうですが、決してさういふものではありません。

鬘の台金をつくり、それに毛をつけて、すつぽりの青黛(せいたい)とか月代(さかやき)をそへ、時には仕掛物の火傷(やけど)とか菊石(あばた)などをととのへるのが鬘屋の仕事で、これを結ひあげて、開演中、俳優に対する鬘の取扱ひから保管・手入れなど一切の始末をするのが実は床山の仕事なのであります。

その順序を少し詳しく申述べますと、先づ狂言がきまると頭取から床山部屋へ鬘の付帳(つけちょう)といふものがわたります。これは古(いにしへ)ながらの茶半紙縦二つ折にしたものを横綴(とじ)にして、それに各幕の場割と役名および俳優名を記したもので、これがわたると床山はそれぞれの誂(あつら)へを俳優に聞きあはせ、鬘屋は床山と打合せたうへで各俳優の台金(だいがね)をとりそろへて鬘合(あたまあは)せといふのにかかります。

これが昔は相当の時日の余裕をもつてなされたものでした。少なくとも付帳がわたつてから楽日(らくび)まで一週間から十日くらゐの間があつたと思ひます。ですから、わたくしども若い時分には、三階へ詰めてあたまを結ひかけてをつても、気分が乗らないときには仕かけた髷(まげ)をぶらさげておいて、仲店でもぶらついてきてまたかかるといふ風に、ずゐぶん楽しみながら仕事をすることができたものでしたが、近ごろのやうに追ひかけ追ひかけ芝居が開いたのでは、なかなかさうはいきません。

配役が決まるのが毎興行の楽日二三日前といふのが普通ですから、いよいよ付帳がわたると、それから二三日といふもの床山部屋はまつたく戦場の忙しさになります。

そこで初めに鬘合(あたまあは)せといふことですが、これは鬘屋から数々の台金(だいがね)が運ばれて、おのおの俳優のからだがあいてゐるときを見はからつて行はれるもので、先づ鏡台を前にした俳優に鬘屋が銅(あかがね)でできた台金を冠せると、俳優はそれを鏡に写して脇にひかへた床山にいちいち相談しながら「刳り型(くりかた)」や鬢(びん)の高低などを誂(あつら)へる。これがわたくしどもの方でいふ鬘合(あたまあは)せでありまして、この合せが鬘製作のすべての基本となるところから、かならず三者立会の上で、幹部は自宅、その他はおほむね部屋で行うのが例となつてゐるのでありますが、この合せに際して最も苦心を要するのは「刳り型」と鬢(びん)のとり決めです。

「刳り型」とは生えぎはの形のことです。それには羽二重の布に毛を一本一本通して植ゑつけたものを用ひるのですが、これは役の性根をあらはす最も肝腎なところで、刳り一つによって優しい二枚目の色気もでれば、また強く険のある敵役の感じもでるものですから、苦心を要するのはむしろ当然といふべきでせう。

丸い顔を細長く、細長い顔を丸く見せるやうにするのも刳り型です。それに人の顔の輪郭といふものは、ちょつと見には左右同じのやうに見えても、案外さう整つた型といふものは少いもので、片側から見て、ああ、いい顔だ、このやうなお顔のかたちならさだめし作るのも楽だらうなどと思つて、ふと正面に向つて坐つてみると、もう片側の方は肉がおちて均整がとれてゐないといふことが往々ある。そんなとき左右同じに見えるやう形を整へるのも刳り型です。

この刳り型に次いで工夫を要するのが鬢(びん)で、鬢にもいろいろの型があり、時代によつてずゐぶん変遷があることは古い画報などによつて御承知のごとくで、しかもそれは鬢の重要な部分を占めるものでありますが、総じてその高低および出引(でびき)によつて品位もでれば意気(いき)にも見えるものです。またをかしみを出すのも鬢です。さらに刳りとの関係で丸い顔を長く見せたり、小づくりの顔を大きく見せたりするのも鬢の加減にあるといつてもよろしいでせう。

ですから、俳優は日ごろから自分の顔の長所短所を充分に会得してをつて、その短をおぎなひ長を活かす工夫を刳り型や鬢のとりかたに凝らすわけですが、それはあながち俳優ひとりの苦心にとどまりません。昔から刳り型がきまれば俳優も一人前とされたものですが、それは同時に床山にもあてはまる苦心のしどころであります。

さて、かうしてでき上つた台金(だいがね)へ、鬢(びん)・髱(たぼ)をつけ、すつぽりのものには青黛(せいたい)をぬり、月代(さかやき)のものには甲羅(こうら)に毛を張って床山に渡す。そこまでが鬘屋の仕事で、それから先、油付(あぶらつき)のものには髷(まげ)をとりつけ、袋付(ふくろつき)のものには髷を結ひあげる。そうして役の性根と俳優の顔・襟足の長短などによつて、髷(まげ)の根取りの位置とか、あるひは髱や根腰に加減をほどこしつつ、俳優の好みも充分に斟酌してまとめあげるのがわたくしども床山の仕事です。

それには立役(たちやく)と女形の別があつて、立役の鬘(かつら)はすべて三階とよぶ床山が扱ひ、女形の鬘はもつぱら中二階(ちゅうにかい)とよぶ床山が扱ふことになつてをります。

この三階と中二階、すなはち立役と女形との確然とした区別はわが歌舞伎独特の伝統によるもので、それはおそらく慶長のころからずゐぶん盛んであつた女歌舞伎が寛永の禁令によつて停止され、あらたに女形といふものが創められて以来のしきたりかとも思はれますが、由来、歌舞伎には鬘屋であらうと床山であらうと一切女性をば交へない習慣になつてをるにかかはらず両者の区別はかたく守られ、その伝統が今なほ維持されてをるのであります。

立役の床山を三階とよび女形の床山を中二階とよぶのは、昔の楽屋がさういふ構造になつてゐて、立役に属するものはすべて三階、女形に属するものは中二階とそれぞれ部屋がわかれてゐたことによるものです。ですから昔は「鹿六屋敷の神子(みこ)の児雷也(じらいや)」などをやると、児雷也が初めは切髪の女姿で出るので鬘をかけるのは中二階の床山が扱ひますが、後にそれが仕掛によつて男に変わつて引込むので、鬘を外すときには三階の床山が受取るといふやうなことがあつたものでした。

女形の口上の鬘なども廻りの鬢・髱(たぼ)は中二階でとるが、男髷は三階で結ひ、万一中二階で仕上げるやうな場合は、男髷をわざと下手に結つて中二階が結つたことをみせたものといひます。また「宮島のだんまり」の鬘も、前の方は三階で仕上げるが、うしろは中二階の受持といふ風にそれぞれ仕事が区別されてきたものでした。これなど、いかにも歌舞伎の世界らしい習慣といふべきで、この道にたづさはるものの遠慮といふ心もちをよくあらはしてゐると思ふのですが、近ごろではさほどのこともありません。

三階と中二階の別なども、関東大震災以後は劇場の建築に著しい変化があり自然楽屋の構造にもそれが及んで、かならずしも三階に床山部屋があるとは限らず、また中二階といふような場所もなくなつてをります。したがつて両者の別を今なほ確然とまもつてゐるのは東京歌舞伎座くらゐなもので、他は立役の床山も女形の床山も一つ床山部屋で仕事をしてゐるといふのが実情です。但し歌舞伎座では三階に大部屋の床山があり、中二階には女形の床山部屋があつてそこに中名代が一緒にゐたものでしたが、今は別に中二階床山部屋として形を残してゐます。