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女性の髪の後ろに差す簪(かんざし)に、平打(ひらうち)や玉簪(たまかんざし)があります。これは当時のファッションと言うほかに護身用でもあるのです。

平打や玉簪は利き手である右側に差さなくてはいけません。暴漢に襲われた時咄嗟に右手で抜くためです。

「私は左利きなのですが」という疑問を抱く人もあると思いますが、江戸時代には左利きの人はいないのです。日本は仏教の教えが濃く左の手は不浄の手とされ、左利きは嫌がられ右利きに直されたのです。今では左で字を書く人も多くなり、時代の変化がわかりますね。

櫛(くし)・笄(こうがい)・簪(かんざし)に鼈甲(べっこう)で作られた物があります。鼈甲は今でも眼鏡のフレームなどにも使われ、大変高価な物です。

江戸の頃でも最初は武家の奥方などしか付けることが出来なかったですが、次第に一般庶民にも普及していったのです。

               

鼈甲は玳瑁(たいまい)というウミガメの甲羅を何枚も重ね圧縮して、これを加工した物です。

この鼈甲(べっこう)の「鼈」一字でなんと読むでしょうか。それは「すっぽん」です。

ウミガメの甲羅なのになぜ、すっぽんにしたのでしょうか。

江戸時代幕府の引き締め政策により何度か改革が行われ、その中に「贅沢は罷(まか)り成らぬ」といってこのウミガメも対象になったのです。

そこで商人はこれをすっぽんの甲羅ですといって売ったのです。

因(ちな)みに玉簪(たまかんざし)の先は耳かきのような形になっていますが、これも「高価な物ではありません。耳かきです。」といって売ったのです。

それでも大目に見ていたのは、実は幕府が一番贅沢をしているところは大奥なのです。

庶民に厳しい処置を下したのも、幕府の財政が困難になり権威を保つための他に、大奥の浪費を押さえたいという思いもあったようです。

ある老中が出費を抑えるよう大奥に申し入れたところ、「あなたは何人側女をお持ちですか、私たちは性欲を押さえて一生おつとめをしているのです。これぐらいの贅沢はあなたの贅沢に比べればたいしたことではないではありませんか。」と言われ、大奥を制することが出来なかったと言う話が残っています。

【那須正利】