江戸時代の鬘(かつら)は、役者がかつら師に注文を出し、自前で役者が持っていました。床山が歌舞伎の座組に現れるのは、はっきりしたことは分かりませんが江戸後期からで、今のような鬘が確立されたのは明治後期から大正時代です。
名人と言われた髷の堀越利三郎師、相撲の江波延二郎師、女形の上島光太郎師などが後世に素晴らしい仕事を残し今に伝わっています。
昭和に入ってかつら師の岡田米蔵氏が網の目に毛を結んだアミの鬘を考案し、これが新派の舞台、また新作の歌舞伎にも取り入れられ新しい分野が開かれました。アミの鬘は映画、テレビに普及していきました。今は映像もハイビジョンになり、網の目もはっきり写るようになってきたので、地毛を生かした半鬘になってきています。
鬘もいろいろに進歩してきましたが、歌舞伎の鬘はアミの鬘では具合が悪く、あの立派な縫いのある衣裳、おしろいで白く塗った化粧法、見得を切った舞台は一枚の浮世絵のごとく見せる演出。
これにはやはり古典の蓑の鬘、羽二重の鬘でなくてはバランスが取れないのです。