(イントロダクション)

「生締(なまじめ)の話-Ⅲ」は、まず『寿曽我対面』『雨の五郎』『草摺引』等、曽我五郎の代表的な形について。これは『〈菅原伝授手習鑑〉賀の祝』の松王丸とも同です。

次にそれとは異なる形の、松王丸では『〈菅原伝授手習鑑〉車引』、五郎は『矢の根』の頭(あたま=髪型)について。

本文中の、十五代目市村羽左衛門丈が『車引』の松王丸でお出になった折に、板鬢(いたびん)に烏帽子(えぼし)の紐が引っかかって鬘(かつら)が取れてしまったというアクシデントは、今読んでも肝が冷える思いですが、羽左衛門丈の大きさに感銘を受けたエピソードとして紹介されています。

『矢の根』の五郎については、七本と車の数が多いので、その分作りが細味になり、優しい雰囲気が加味されるとあります。

【総務 鴨治(和)】【写真 全て:岩田アキラ】

歌舞伎床山芸談(四)-①生締の話

建久四〈1193〉年五月二十八日夜、父の仇・工藤祐経を討つた曽我兄弟の物語も劇に仕組まれた数の多い物語の一つでありませう。

昔から曽我の名を冠したものだけでも約二十種あり、近松の浄瑠璃に脚色された曽我物だけでも九種からあるといふことですが、このうち五郎のあたまは『対面』の五郎も「雨」の五郎も『草摺引』の五郎もみな同じで、前髪は油込みの、松の木をつけて、鬢(びん)は箱鬢(はこびん)、髷(まげ)は生締(なまじめ)といふことにきまつてをります。『菅原伝授手習鑑』の『賀の祝』の松王丸がやはりこれと同じ鬘(かつら)です。ですから俳優の柄によつて、柄の大きいかたならちよつと生締を太くするとか、柄の小さいかたなら少し細目にするとかいふ風に手加減をほどこすことはあつても俳優が同じならどちらの役にもぴつたり合ふのがこの生締です。

尤(もっと)もこの松王丸を大阪のかたがやると『賀の祝』では「若衆」(前髪付のこと)でなしに鬢(びん=月代のある髪型)でやります。亡くなつた〈初代〉吉右衛門さんがやはりこの鬢でおやりになりました。理由は松王が播磨守(はりまのかみ)といふ大名になつたからには前髪付ではまづいといふので、油込のカラ鬢(びん)に髷(まげ)は吉右衛門(髷の名)ごごろの控へた大名といふわけです。従つて着付もこれに応じ黒羽二重(くろはぶたえ)に麻裃(あさかみしも)と替ります。

また、同じ役であつても『車引』の松王丸と、『矢の根』の五郎のはそれぞれ〈油込の前髪 箱鬢の生締(割り櫛付)とは〉異ります。

つまり前者の松王丸の場合『賀の祝』では箱鬢(はこびん)といつて本毛に鬢金(びんがね)をいれて、鬢の形がちやうど箱のやうな形をしてゐるのに対して『車引』では鬢を油でかためて研ぎだした板鬢(いたびん)になつてゐる。それに応じて髷(まげ)の方も腰が高く『賀の祝』の松王丸より太目になつてゐるわけです。これを「油込の前髪(松の木付)板鬢(いたびん)(簔(みの))の生締」と呼んでをります。

もつとも、この『車引』の松王丸の鬘(かつら)には二つの型があつて、板鬢を五本車鬢とするひともあります。これを「油込の前髪(松の木付)五本車鬢(簔)の生締」といひ、いづれを用ひるかは俳優の好みによることです。しかし、だいたいこの節では板鬢でおやりになるかたが多くなつてをります。前者の板鬢を團十郎型、あとの五本車鬢を芝翫(しかん)型としてゐます。

 この『車引』の松王丸の板鬢で思ひ出すのが先代の〈十五代目〉羽左衛門さんのことです。羽左衛門さんは『菅原伝授〈手習鑑〉』では『寺子屋』の松王丸『賀の祝』の松王丸・桜丸『車引』の松王丸・桜丸といろいろおやりになりましたけれども、なかについて『賀の祝』の桜丸と『車引』の桜丸の役が特に若衆役者としての名優ぶりを遺憾なく発揮した当り役であつたと定評のあることはごぞんじのことと思ひますが、その羽左衛門さんが大正の初めごろ歌舞伎座で松王丸をおやりになつた時のことでした。

「兄弟ひとつでねヱ、まてヱ」で出てきて「忠義がはたらきをお目にかける……」
 で烏帽子をとり素袍(すおう)をぬいで例の見得をきるところで、どうしたはずみか鬘(かつら)がすつぽり外れて落ちてしまつたことがあるんです。あれはきつと板鬢が鳥の翼をひろげたやうに開いてゐるところから、烏帽子をとる時に紐がひつかかつて鬘もろとも外れて飛んでしまつたのでせう。そのとき羽左衛門さんは少しもあわてず後見に鏡を持つてこさせ、後向きになつて鬘をかけると、さて悠々と新規に見得をし直したものでした。これは何でもないことのやうで、突嗟の場合ちよつと誰にもできることではありません。それで羽左衛門さんの大きさが大変な評判になつたことがあります。このかたには、たしか家橘(かきつ)から十五代目羽左衛門を襲名なすつたときの句に「橘や細い幹でも十五代」といふのがあつたと記憶しますがなかなかどうして細い幹どころか見上げるばかりの大樹であつたと思ふことです。

さて〈一方〉『矢の根』の五郎はこの『車引』の松王丸と生締(なまじめ)は同一ですが、鬢(びん)が七本車鬢となつてをるところが松王丸ともまた他の五郎の役のあたまとも異るところです。

しかも車鬢には三本・五本・七本と三つ型があつて、そのうち七本車鬢を用ひるのは今日では『矢の根』の五郎に限られてゐますから、その意味でもこれは珍らしく、また特徴のあるもので、『矢の根』の素朴で力強い荒事劇の構成の面白さとあひまつて鬘(かつら)の造形に対するきはめて表現意欲に富んだ古人の苦心工夫のあとを見るべきでせう。

いつたい車鬢といふのは舞台で観ておわかりのやうに主として荒事(あらごと)の役の強さをあらはす工夫になるものです。それには油込(あぶらこみ)と漆揉(うるしもみ)の二つの手法があり、髷(まげ)は必ずしも生締とは限りませんが、「すつぽり銀台(ぎんだい)」の三本車鬢には『極付幡随院長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)』の〈坂田〉公平(きんぴら)、油込の五本車鬢には『解脱』の景清とか『道成寺』の押戻し竹抜五郎。漆揉の三本車鬢には『蜘蛛の糸』の坂田金時、五本車鬢には『堀川夜討』の芋洗の弁慶とか『弁慶上使』の弁慶などがあります。

(この弁慶の鬢(びん)は研ぎだしの車では弱いといふので漆揉になつてゐるものです。しかし先代の〈七代目〉中車さんは『〈弁慶〉上使』の弁慶を漆でなしに研ぎだしでおやりになつたことを記憶してをります)いづれにしてもこれらの車鬢は本数が少なければ少ないだけ、それだけ一本のつくりが太くなる道理でしてそこに自然といかつい感じが増すものです。これに対して七本車鬢となれば逆に車のつくりが細味になるものですから、同じくいかめしい感じのなかにも優しみがあらはれるわけでして、そこに『矢の根』の五郎のあたまの特徴があり工夫のあるところです。