歌舞伎は、出雲阿国が京の河原で踊ったのが始まりとされております。戦乱の世が終わり民衆はこの出雲阿国の出現に我を忘れ魅了していきました。しかしその陰で淫行も行われこれを江戸幕府は見逃さず阿国歌舞伎を禁止しました。

これに替って現れたのが若衆歌舞伎です。戦に明け暮れた侍たちは女性たちを合戦の場に連れて行くことはできなかったので、その吐け口はお小姓という若い男性でした。

やっと戦が終わった時代ですからまだまだ男色が横行していた時代、この若衆歌舞伎も淫行の的となりました。これにより江戸幕府は若衆歌舞伎の禁止を断行し、前髪を剃り落とし野郎歌舞伎としてならば許可する触れを出しました。

色気のなくなった舞台に観客は薄れ、歌舞伎はストーリーのある演劇へと変化していきました。これにより鬘(かつら)の必要性が徐々に多くなっていきました。

歌舞伎は、能、狂言、人形浄瑠璃などの影響を受けさまざまに変化していきました。

中でも人形浄瑠璃(文楽)の影響は大きく、丸本歌舞伎といった古典歌舞伎は人形浄瑠璃から取った作品が多くあります。

歌舞伎よりも先に文楽の形が出来、それを模写した誇張された鬘も出来上がっていきました。

「菅原、車引」梅王丸

「菅原、車引」梅王丸

【文:那須正利】