(イントロダクション)

「生締(なまじめ)の話-Ⅳ」は、まず生締の髷(まげ)に「燕手(えんで)」や「鬢猪皮(びんししかわ)」といった凄みや強さを表す表現を加えた頭(あたま=髪型)について。

会長 鴨治欽吾が申しますには・・・

「燕手を用いる代表的な役として本文中に出てくる、『伽羅先代萩』仁木弾正は、生締の髷自体は「歌舞伎床山芸談」第13回(「生締の話-Ⅰ」)でご紹介した『近江源氏先陣館 八段目』佐々木三郎兵衛盛綱と基本的には同じですが、総髪(そうはつ)【註:月代を剃らずに前髪を撫で付けた形】にして燕手を加えることによって、「国崩し」と言われる敵役(かたきやく)の中でもとりわけ大物の凄みを出します。」

「鬢菱皮(びんひしかわ)の役として、同じ『伽羅先代萩 』荒獅子男之助が紹介されていますが、この生締は根腰にふくらみを持たせて鬢菱皮のボリュームに負けないように折るのが口伝です。」

とのことです。

「鬢猪皮(びんししかわ)」は現在では「鬢菱皮(びんひしかわ)」と表記されることが多いのですが、本文中に記されている由来を考えると「鬢猪皮(びんししかわ)」から転じたのかもしれません。

最後に、『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)』曽我十郎に用いる「針打(はりうち)」という「生締」以外の珍しい古風な髷についても言及しています。
2025年6月25日付弊社ブログ〈かつら豆知識〉に女形と立役両方の「針打」についての記事がありますが、特に立役の「針打」の来歴についてはわからない点が多く、様々な説があって興味深いです。

【解説:会長 鴨治欽吾・聞き取り等:総務 鴨治(和)】【写真 :岩田アキラ】

歌舞伎床山芸談(四)-①生締の話

(つづき)そのほか変つたところでは『車引』の桜丸の「本毛箱鬢(簔)油込(あぶらごみ)前髪の生締(棒じけ付)」とか、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の仁木弾正(にっきだんじょう)の役に用ひる「本毛鬢燕手(えんで)の生締」、同じく『床下』の〈荒獅子〉男之助(おとこのすけ)の役に用ひる「すつぽり鬢猪皮(びんししかわ)(簔)の生締」などといふのがあります。

このうち燕手(えんで)といふのは、先にも述べた通り主として敵役(かたきやく)とか凄味のある役に用ひるもので月代(さかやき)の部分にあたるカラ毛に漆を吹き、燕の翼のやうに髷(まげ)の両脇へ出した甲羅(こうら)のつくりの形容からきた名称です。

鬢猪皮(びんししかわ)【註:鬢菱皮(びんひしかわ)とも言う】といふのは両鬢を簔(みの)に植ゑたカラ毛へ漆をふいてかため、揉みあげをシッチウごころに巻いた鬢のつくりの名称で、これも荒事に用ひて強さをあらはすものです。その形容はもともと猪の怒り毛といふこころもちから出た名であつたといふのですから、いかにも強さをあらはすおもしろいかたちで、髷(まげ)は役々によつて一定しませんが荒事にはよく用はれます。

『金閣寺』の〈十河〉軍平(ぐんぺい)の「すつぽり鬢猪皮(簔)の生締」をはじめ『寺子屋』の〈春藤〉玄蕃(げんば)の「すつぽり鬢猪皮(簔)の髷隠(まげかくし)」とか『扇屋熊谷』の〈熊谷次郎〉直実及び『八陣〈守護城〉(はちじんしゅごのほんじょう)』御座船の加藤正清の「袋付鬢猪皮カラの一束たばね」などがそれです。そのほか『一條大蔵卿〈一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)〉』の〈八剣〉勘解由(かげゆ)も一種の鬢猪皮(びんししかわ)ですが、これは油付の「立根(たちね)の切藁(きりわら)」で鬢はずつと控え目に小づくりになつてをります。

また同じく『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)』の兄弟の役にあつても、兄の十郎は髷(まげ)が生締ではありません。あれは「本毛八枚鬢の針打(はりうち)(棒じけ付)」といつて、鬢(びん)は同じく小額(こびたい)のないつくりですが、髷(まげ)は「針打(はりうち)」といふ独特なつくりです。しかもこの針打といふ髷は十郎のほかには『暫(しばらく)』の太刀下に用ひるくらゐなもので、それ以外には滅多に出ない大時代な髷ですから、観る人によつては実に古風な趣味のあるおもしろい髷ともうせませう。

思ふに「針打」とは、昔から針打とかかみうちとかいふ遊戯があつて、何でも針に糸をつけ、その針を前歯でくはへて重ねてある紙に〈上から下へ向かって〉吹きつけ、針先に附着して上つてくるだけの紙を自分の所得として娯しんだといふ、その針の紙に突き刺さるごとく髷の毛先が甲羅に密着してゐる形容からきたものと考へられ、そのかたちは「車引」の梅王丸の「針つぶ」とやや似通つたところがあります。

しかし、いづれにしてもこの「針打」といふ髷は、見たところ丸つこい、どこかユーモラスなところさへあるその形が形だけに誰の顔にものるといふわけにはいかず、どちらかといへばのんびりとした古風な顔だちの持主でないとぴつたり乗らないなどといふ人さへある古風な髷です。それで近世では先々代の〈初代〉家橘(〈十五代目〉羽左衛門の父)さんがこの髷(まげ)の一番よくのる顔だともいはれてをつたものですが、これはあながち髷そのものが特殊なせゐでなく、むしろ人そのものが複雑な生活環境の推移によつて自ら容貌にも変化を来した結果と見るのが至当(しとう)でせう。

わたくしどものやうな仕事にたづさはつてをりますと、そんなところにも時代の移り変りといふものをありありと感じるわけでして、この慌しい時代の流れに押し流されながら、ひとたび喪へばまたかへることのない昔からの型や作法の精神をどうしたら永く維持してゆけるものかと折にふれては考へさせられる点が間々あるのであります。

なほ、この『対面』の十郎の「針打」は上方ではどういふものか、いつも『前茶筅』で演つてをりました。また今の〈九代目〉海老蔵〈後の十一代目團十郎〉さんは『女鳴神』の絶間之助を「針打」でおやりになつたことがあります。